「夢館」の新兵器(笑)

無料で借りれる、「音声説明ペン」です。

写真をタッチするだけで、音声説明が聞けます。

でも、展示しているロウ人形の部屋の脇の壁に書いてある

説明書きと全く同じことを話しているので、

読んだ方が早いです(汗)。

あと、持って歩くのが、煩わし杉の木(笑)

まぁ~漢字の振り仮名を読めない、小学生に良いかも?

ひらがなを読めない、小さなお子さんだと、

そもそも、内容を理解できるか どうかが、問題ですねぇ~~~^^;

平泉の歴史概要

東大寺の造営、そして未曾有の大仏「毘盧舎那仏」の鋳造を契機に、鍍金のための黄金が国中で探し求められた。

その時、みちのく涌谷(現宮城県涌谷町)で金が採掘されたことから、一躍みちのく注目され、中央政府の支配強化が
始まったのである。

その結果、在地の勢力と中央政権との間で再三にわたって戦火が交えられ、ようやく安定したのは、坂上田村麻呂の遠征によってであった。

しかし、その支配下から再び在地勢力の雄として頭角を現してきたのが岩手を中心とした安陪氏であり、秋田を本拠地とする清原氏であった。   

やがて、安倍氏と中央政権、清原氏との間で交戦が生じ、いわゆる「前九年の役」へと発展した。

長きにわたる戦乱も、藤原氏が政府側に加担し、安倍氏を滅亡に追い込んで終結をみた。

しかし、やがては清原氏の内紛から「後三年の役」が起こり、みちのくは再び戦乱の地と化した。

「前九年の役」のさなか、に生を受け、数奇な運命にもてあそぱれながら成長し、ただ一人安倍、清原の流れを及む
人物として生き残ったのが藤原清衡であった。

また、前役では、源頼義、後役ではその子義家が中央側の将軍として活躍し終結をみたが、朝廷側ではその功績を
正しく評価せず、源氏にとってみちのくは遺恨の残る地となったのである。 

清衡は、みちのくでの地歩を固めていくと同時に、源義家の庇護のもと中央貴族社会との交流を深めていった。

そして、機をみて豊田館(現岩手県江刺市)から衣川を越えた平泉の地に居館を構え、仏教を施政の根幹に据え、
みちのくの平和と安定の基礎を固めたのである。

清衡の施政は三代にわたって受け継がれ、広大で肥沃な領地からの産物、黄金、駿馬をはじめとする特産物によって支えられた豊かな経済力と天性の政治感覚から、平和で安定したみちのく、そして、他に例を見ない質の高い文化を「平泉」を中心に築き上げていった。

しかし。

源頼朝、義経との確執、そして国家的変革の波に巻き込れ滅亡したのであった。

文章引用:「夢館」館内で販売の本「夢館 奥州藤原歴史物語」P1より