無量光院跡
無量光院(むりょうこういん)について
無量光院(むりょうこういん)は平安時代末期に
奥州藤原氏三代秀衡(ひでひら)公が建立した寺院です。
宇治平等院鳳凰堂を模して
建立され、阿弥陀堂を中心に伽藍が構成されています。
仏堂と広い苑池(えんち)を設けた浄土庭園として知られ、
建物は現存しないものの、遺構は良好に残り、特別史跡の指定を
受けています(大正11年に国史跡、昭和30年に特別史跡)。
鎌倉幕府が編纂(へんさん)した歴史書
『吾妻鏡(あづまかがみ)』には、
「宇治の平等院を模して、三代秀衡が建立した」と記録されています。
実際に、昭和27年の発掘調査で、
平等院の鳳凰堂に似ていることが確認されています。
奥州藤原氏滅亡後、焼失して境内は荒廃しましたが、
堂跡、池跡等の遺構が良好な状態で保存されています。
本堂と東中島の建物の中軸線上には、金鶏山(きんけいさん)
の頂上が位置しており、4月中旬と8月末頃には本堂の
正面側から金鶏山の頂上に夕日が沈む光景を見ることができます。
無量光院跡地図
@推定東門付近
東門の位置は、未調査のためわかっ
面にあたる東側土塁の北側付近にあっ
A東中島
よノ無量光院マッフ
無量光院の範囲
無量光院の範囲は、西(説明板
に向かって正面)と東(同左)及
び北側(同右の住宅裏に位置)は
小高い山のようになった部分(土
塁)まで、南はJRより南側にある
白山社との境までです。
三方を土塁に囲まれた、この広
い範囲に池を掘り、お寺を建て、
浄土庭園が造られました。
*なお、島を結ぶ通路は、後世に
設けられたものです。
ていませんが、本堂正
たと考えられています
昭和27年の調査で3棟の建物跡が見つかりました。
の建物の四隅をコンクリートの小社で示しています。
島の端には他の汀(みぎわ)に置かれた大きい庭石
(景石:けいせき)が残っています。
B本堂跡・西島
「平等院鳳凰堂を模した」とされる
本堂がこの島の上にありました。現
在も礎石が残り、建物の位置や大き
さがわかります。
昭和27年の調査では、無量光院の
本堂には尾廊はな<、翼廊は平等院
より長いこと、本堂前には「鑓(せ
ん)」(素焼きのタイル)が敷き詰
められていたことがわかりました。
C北小島
翼廊
(図面上が西側:建物は東を向いている)
近年の調査で、西島の北にもう一つの島(北小島)を確認し、西島か
ら橋が架けられていたことが分りました。本堂北に小島を配置し、橋を
架けるのも平等院と同じです。
D発掘調査
平成14年度から、史跡整備を目的とした内容確認調査を継続的に行って
います。今年度は本堂跡及び東中島北の池を中心に調査を行っています。